天気がいいと、掃除も洗濯もはかどります。
勉強のお供にコーヒー。
急に思い出したけれど、私中学校の卒業文集で「どんな人と結婚したいか?」の質問に「おいしいコーヒーを淹れてくれる人」と答えていたんだった。
中学生にしては渋すぎる答えなのはさておき、当時は一応可愛らしく彼にあれこれしてほしい、と思うタイプの子供だったらしい。
あれから十数年、こうしてコーヒーも自分で淹れる日々。すっかりひとり上手になってしまって…と思ったら、そのままずっと頭の中で中島みゆきがリフレイン。はい、勉強、はかどってません…。
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茶の世界史〜緑茶の文化と紅茶の社会
著:角山 栄
中公新書
著:角山 栄
中公新書
大学の卒論で使った本。
私の学部は卒論必須ではなかったのだけれど、せっかく大学を卒業するなら、記念?に卒論も書いてみたい、と思ったのだった。
卒論のテーマは「一元的文明進歩史観の反転と、屈折した東洋への羨望」。
今読み返してみたら、難しくて何言っているのかよく分からないところがある…。当時よりバカになってしまったのか、当時からよく分かっていないことを書いてしまったのか。うーむ。
でもこの本は卒論のためを差引いてもおもしろかった。
十六世紀、ヨーロッパ人は初めて日本を訪れる。初めて経験する日本の中で、彼らの心を最もつかんだのが茶だった。
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…ヨーロッパの宣教師が接した日本の茶とは、まさにこうした「茶の湯」であった。つまり「チャ」という奇妙な飲み物が、たんなる飲み物としてではなく、その飲み方が一種の儀礼として、不可解な宗教的神秘性と社会的倫理性をもっていることに、彼らはいたく感動したのである。
…やがて彼らの好奇心は、日本文化、東洋文化への畏敬の心に変ってゆく。こうして茶は、彼らにとって東洋文化のシンボルとなった。その場合茶の葉だけでなく、茶の道具とくに中国製陶磁器のポットと茶碗がセットになったものが、東洋文化としてイメージされたのである。
当時の東洋は、いまとちがって豊かな国であった。それにひきかえ、北緯四十度以北の寒冷なヨーロッパは貧しい国であった。豊かな東洋からは古代の絹、ついで中世には香料、近世からは中国の茶およびインドの綿布が、ヨーロッパへの代表的な輸出品となる。香料がヨーロッパのアジア航路開拓の契機となったとすれば、茶と綿布はヨーロッパの近世資本主義を促進する契機となったといってよい。
東洋の「茶の文化」に対するヨーロッパ人の畏敬と憧憬――
ここからヨーロッパの近代史は始まる。
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ここまで言い切っていいのかはともかく。
何となくぼんやり世界史の授業を受けていると、ヨーロッパ中心で世界が回っているように思える。スペインの天下からオランダ、フランスと覇権が移っていき、イギリスが帝国として勝利をおさめるまでが、中世から近代の歴史であるかのような。
しかし、目を地球全体に向けてみれば、中世にヨーロッパ同士でしていた争いなど子供の喧嘩のようなものだったらしい。当時のアジアの文明は、ヨーロッパなど比較にならないほど洗練されていたのだとか。
ちなみに、お茶というとイギリス人が中国から大量に輸入した、というイメージだけど、実は、オランダ人が日本から輸入したのが最初なんだって。当時のイギリスは、オランダとの覇権争いに敗れてインドまでしか進出できなかったから、お茶はオランダから購入していたらしい。
勝手にイメージしていることって、だいたい間違っているんだなあ。
お茶とか食事とか、テーマを絞って世界史を述べなおしているタイプの本、本当に好き。そういうテーマだというだけで、点が相当甘くなってしまう。
先週紹介していただいたこの本も、とても楽しく読んでいます(先生、ありがとうございます)。またシノプシス書きます。